1979年の春、安倍晋三は米国留学ーそれは語学留学に毛の生えたほどのものだったガーから帰国すると、神戸製鋼所に政略入社する。 ニューヨークから加古川などを経て本社の鋼板輸出課に転勤する。のちに副社長になる矢野課長の下で働く。
その矢野氏が「上から普通に扱ってくれればいいから」と言われて、全く普通に扱いました。彼はそれを喜んだみたいで、朝なんかは一番早くきていましたね。「こっちは仕事で毎晩酒を飲んで、胃の調子が悪く夕方牛乳を買いに行かせていたんです、晋三は嫌な顔もせず命令に従った。そのうち矢野が小銭を手にチャラチャラ音を立てるだけでさっと駆け寄り牛乳を買いに行くようになった。あとで上から怒られましたが、でもそれくらい腰が軽かった。真面目で要領のいい子犬。そんな印象を上司に残し、わずか3年で終止符を打つ。

名門政治家の家系に生まれた「運命」を受け入れ、敷かれたレールの上を走り、真面目で普通で、仲間内では優しく要領のいいおぼっちゃまの姿。父方祖父寛や、父晋太郎と比べても、地に足のついた政治経験でも、それを支える知性の面でもはるか遠く及ばない。「明らかに世襲のなせる技でしょう。地盤があって看板とカバンがあれば、未熟なものでも政治家になっていく。だから政治がどんどん劣化している。致命的です。」と成蹊大の名誉教授加藤節は言う。

成蹊大の元学長宇野重明さんは法学部教授であり、安倍首相の教え子の一人だった。
授業中や後などで質問を受けたことはと聞くと「記憶にないです。私が教えた中で積極的な学生はゼミに入りましたが、彼はあまり鍛えられなかったのかもしれません」「「私はどちらかというとリベラリストですが、決して右でも左でもない。中国の要人や知識人に会うと、彼をすごく批判し、極右だと言わんばかりだから、「そんなことはありません」とも言ってきたんです」そんな政治スタンスは後天的なものものだとおっしゃる方もいました。「私もそう思います。保守政党の中に入り、右寄りの友人や側近、プレーンがどんどんできてきたことが大きかったんでしょう」それをどうお考えですか。

「彼の場合、気の合った仲間をつくり、その仲間内では親しくするけれど、仲間内でまとまってしまう。情念の同じ人とは通じ合うけれど、その結果、ある意味で孤立しています」

今の最大目標は改憲です。
「憲法そのものについては、占領時の制定経緯などに疑義はあります。時局に合わせて修正することはあってもいい、ただ現行憲法は国際社会で最も優れた思想を先取りした面もある。彼はそうしたことがわかっていない。もっと勉強してもらいたいと思います」
昨年の安保法政はどうですか。
「間違っている。と思います。正直言いますと、忠告したい気持ちもあった。よっぽど、手紙を書こうかと思ったんです、、、」そう言った瞬間、宇野の目にうっすらと涙がにじんでいるのに気づいて、私はうろたえた。しかし宇野は姿勢を崩さず、両手を膝の上にきっちりおいて話をつずけた。その姿は、現政権や周辺者たちがいう「美しい日本人」がいるとするなら、まさに宇野のことではないかと思わせるほどだった。

「彼は首相として、ここ2、3年に大変なことしてしまったと思います。平和国家としての日本の有り様を変え、危険な道に引っ張り込んでしまった、国民も、いつかそう感じる時がくるかもしれません」

「彼らの保守は「なんとなく保守」でナショナリズムばかり押し出しますが、現代日本にあるべき保守とは何か。民衆は、生活のことを第一に考えるる穏健な保守を望んでいるのが大半でしょう。今を見つめ直し、反省してほしい。もっとまともな保守、健全な保守になって欲しい。心からそう願っています。

アエラという雑誌に、青木 理さんの取材記事より。成蹊大の元教授の言葉を首相が読んでくれたら嬉しいのですが、健全な保守になれば、国民の大半は喜ぶでしょう。私自身は戦争になるような国にはしたくないことは、被曝を経験した私は守りたい。良い言葉を読ませて有難う。向井